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2006/05/21(日) 02:06:25 [キリスト教]

 聖書のなかで語られる奇蹟として有名なものにイエス様の水上歩行があります。でもキリスト教徒にとっては、これって奇蹟じゃないかも。イエス様を人間と思っている人にとっては、湖面を歩く姿は奇蹟そのものだろうけど、イエス様は神の子なんだから、水の上ぐらい平気で歩けると思う。

 奇蹟と呼ぶならば、弟子のペテロの行動の方が奇蹟にふさわしい。だって、ただの人にすぎないペテロが数歩とはいえ水の上を歩いたんだから。

 うちの近所に大きな池があるんだけど、その水面を見るたびに「ここを歩くなんて無理だよな」と思います。ましてやペテロが足を踏み出したのは風の吹きすさぶ明け方の湖。時化(しけ)た湖が、どんなに簡単に人を呑みこむか、漁師であるペテロなら、よくわかっていたはずです。

 誰だって「人が水の上を歩けるわけない」と思う。そして落ちたら助からないかもしれない、とおびえる。それでも歩き始めたペテロの行為こそ信仰によって導き出された奇蹟だと思います。

 そこまで神と主に全幅の信頼をよせて歩むことができれば、ほんとに立派なキリスト者なんだろうけれど、わたしには、まだまだ真似できそうにありません。「話はわかるけど、現実にそんなことできるわけない」「自分にはできるわけがない」「あれは聖書の中のたとえ話であって、自分の日常でやることじゃないんだ」と思ってしまうのです。

 これが水の上を歩く話にとどまるなら、まだ罪はないんだけど、聖書に書かれたさまざまな恵みや救いや暮らしの規範についても「話はわかるけど、現実にそんなことできるわけない」「自分にはできるわけがない」「あれは聖書の中のたとえ話であって、自分の日常でやることじゃないんだ」などと思ってしまうのです。

 日々、祈りを唱えながら生きているのに、自分のすべてを神と主の前に差し出すことをためらう自分。歩きだすふりをしながら、実際は船にしがみついた手を離すことができない弱さ。たぶん、イエス様に出会う前のペテロも、弱さと罪にまみれた人だったんだろうと思う。

 そういう弱く汚れた人間が、自分の努力ではなく、ただひたすらに神を信じて足を踏み出して歩き始めること。これこそがほんとの奇蹟だと思う。

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