先の日曜日は復活祭でした。イエス・キリストが復活した日です。いつもはテキトーな恰好で礼拝に出ているわたしも、この日ばかりはスーツ。お正月みたいなもんですから。
かといって、復活の事実を素直に信じている、ってわけでもないんだけど。とりあえず、わたしにとって理解するのは無理ってことはわかった。いや、誰にとっても理解することはできないんだと思う。パウロによれば、それは、ゾンビのような肉体の復活ではなく、肉体が滅びたあとに生まれる朽ちることのない霊の体のようです。では、幽霊のようなものか、というと、そうでもないらしい。復活のイエスさんも「亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。(ルカ 24:39)」っていってるし。
ただ、そういった神に関することがらについて詮索するのは、まったく意味のないことだ、ということは、ようやくわかるようになった。なぜなら、人智を超えた存在が神である、と定義しながら、同時に神を理解しようと試みるのは、まったくの矛盾だから。問いそのものに欠陥があるから、答えなど出るわけがないんだ。
こういった理屈をこねず、子どものように無心に信じることができれば、どれだけ幸せか、と思う。そういう素直な心は、大人にはもう持てないんだろうか。いや、場合によっては、大人だって理解不能なものを素直に受け入れるときもある。たとえば病院からもらった薬を飲むとき。処方箋やカルテをのぞきこんだところで、何がなにやらわからないんだけど「まぁ、あの先生だったら、たぶん間違いはないだろう」と思って薬を飲んで蒲団にもぐりこむ。信仰に必要なことは、そういう姿勢なんじゃないか、と、最近思うのです。
人によっては病気の身でありながら、薬の効能を調べ、病院や医者の評判を尋ね歩き、医者の言葉を疑っていろんな医学書や学術資料を読みあさり自分の病気に独自の診断をくだす人もいるかもしれない。そんな暇があるんなら、薬を飲んで寝ておけばいいのに。でも、それは、かつてのわたしの姿なんだ。なんとまぁバカな病人だったんだろう。人は医学を学ぶために病院に行くんじゃない。病気を治すためにいくんだ。そんなこともわからなかったなんて… (-.-;)~
だから、いまは奇蹟の事実を、ただ素直に目を閉じて飲み下そうと思います。効くかどうか自分にはわかんないんだけど、まぁたぶん大丈夫だろう、イエスさんもあ〜言っていることだし (^_^)