今朝、近所のスーパーの前の道を歩いていたら、横断歩道にでっかい烏が仰向けにひっくりかえっていました。信号が変わったので、近づいて足でつついてみたけれど、口から血を流して完全にくたばってました。
そのままでは、いずれ車に潰されてしまうので、近くの土手に葬ってやることにしました。死んだ烏の脚をつかんで逆さに持ち上げてから上を見上げると、周囲のビルや街路樹から仲間の烏が、じっとこちらを見つめています。
たぶん襲ってくることはあるまい、と踏んでから、土手をめざして歩き出すと同時に、まわりにいた仲間がいっせいに飛びたって、わたしの頭上をまわりながら大声で鳴きはじめたので、お祭みたいな騒ぎになりました。怒っているというよりは、度を失ってあわてているような鳴き方です。道行く人も、ただならぬ烏たちの騒ぎに驚いて空を見上げています。
そんなに騒ぐのなら身内で弔ってやればいいのに、と思いつつ、土手に到着。道から離れた雑木林の下に遺骸を放り投げてから、降り積もった落ち葉を集めて寝床をつくってやりました。
烏にキリスト教のお祈りも妙な気がしたので、昔ながらに「南無」と唱えて、歩き出すと、あれだけ騒いでいた仲間の烏は、一羽もついてきません。仲間が埋められた雑木林で弔い(とむらい)をやることに決めたようです。なんとまぁ、賢い鳥なんでしょう。
思い返すと、以前も似たような風景を見たことがありました。街中の公園の水飲み台に烏たちが集まって、じっとしているので、何をやっているのだろう、と遠くから様子をうかがってみると、水飲み台の中央に仲間の烏が倒れていました。このとき、はじめて烏は葬式をやるんだ、ってことを知りました。
烏に話を聞いたわけではないので確かではないけれど、烏は「死」という状況を大まかに理解しているんだと思います。お疑いのむきは、ぜひ 唐沢孝一の「カラスはどれほど賢いか」を、ご一読あれ。烏は「余暇」をもち、「遊び」を理解する、きわめて賢い動物なのです。
妙な年始になったな、と思いつつ、用事を済ませてから、また自宅でノート・パソコンいじり。年末からの試行錯誤の甲斐あって、日付が変わる頃、ようやくまともに動き始めました。そして、この真っ黒な Thinkpad 560 のホスト名も raven。烏なのでした。
なんだか烏に始まり、烏で終えた一日。夜は烏たちもねぐらで静かにしていると思うけれど、死んだ烏の仲間たちはどんな夢を見ているのやら。