
史跡を歩いていると、当時の人々の息づかいが聞こえてくるような錯覚をおぼえます。
熊本城の宇土櫓という見張り台の中を歩いたときも、廊下や板の間や梯段のあちこちに当時を生きた人々の影を感じました。
この廊下を行き交った人々は、どんな服を着て何を食べ、何を思いながら歩いていたんだろう、と考えるのは、ちょうど高い城から城下の街を見下ろしているような感覚です。遠い時間を隔てて眺める人々の暮らしは、あまりにも、はかなく、ささやかです。
そして史跡によって与えられた新たな眺望は、歴史の中のわたしという存在の小ささも感じさせてくれます。
いまから百年後、わたしの存在を憶えている人は誰もいないでしょう。でも、わたしの肉体が灰や塵に形を変えて地に残るように、わたしの息づかいや体温といったものも、この時代が残す遺跡の表面に影をとどめるような気がします。